ゲーム批評を始めるために はじめに

 

 


ゲームは語られなければならない。しかし、どうやって?この疑問が解消されることはしばらくなさそうである。私たちは語らずにはいられない一方で、肝心なことは何一つ語ることができないのだろうか?私はその考えを否定したい。よってゲームの核心をつく言語を作っていこうと思うのである。

 


すでに多くの言葉が尽くされた気もする、ゲームを語るために。そこからスッポリ抜け落ちたものはあるだろうか?ゲームを語る際の核心とはすなわち「ゲームとは何か?」という根源的かつ普遍的な問題である。この問題をあらゆる「ゲーム批評」は避けてきたように思える。

 


あるいは「ゲーム批評」など存在しなかったのかもしれない。実のところゲームについて語られたことの多くは「昔々~があった」というお伽話かユーザーに寄り添った広告ばかりな気もする。

 


僕がゲーム批評が必要だと思うのはゲームは批判されて然るべきだからである。私たちは現状、ゲームが持つ魅力を充分に測ることはできない。その術を持たなくてはならない。それが定量的な分析でなく、ある種文学的に行うことを試みる必要があるのではないだろうか。

 


この試みはゲームの外側に言語、とりわけ批評によってゲームを作ることと、そのプレイヤー、そしてオーディエンスを生み出すことを目的としている。

 


続きは未定である。